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2003年4月

お引越し2003.4.13
3月31日にゆきちゃんは生まれ育った五島を離れて長崎へ引っ越してきました。
大好きだった小学校の先生やお友達に見送られて、フェリーで島を離れました。

いろいろな色の紙テープが由紀子とみんなを繋いでいましたが、船が動き出すとそのテープもすぐに切れてしまいました。
新しい生活が始まる・・・そんな実感が湧いて来ました。
由紀子もみんなにいっぱい手を振りました。どんな気持ちでみんなの姿を見ていたのでしょうか?

新しいお家に着いても、ダンボールの山。
しかも連日いろいろな人が工事にやって来て、由紀子がゆっくりする場所もありません。
1日中爪を噛みつづけていました。

唯一の救いは近所にある大きな銭湯に行った時、「千と千尋の神隠しの湯屋だ!」と言って由紀子が大喜びをした事でした。

4月3日、長崎市の特殊学級に入るために教育研究所で判定を受ける事になりました。
知能テストは何回も受けているのでゆきちゃんは何の抵抗もなく、ニコニコで受けていました。

判定の結果、情緒障害児学級を勧められましたが、新しい家から情緒障害児のある学校は遠いので予定通り家の近くにあるN小学校の特殊学級に入れていただくことにしました。

判定をいただいてさっそく小学校へ連絡をして、その日の夕方、由紀子と2人で学校へ挨拶に行きました。

この西町小学校には前の小学校でお世話になった先生がこの春転勤されています。
これは本当にラッキーでした。o(*^▽^*)o~♪

新しい学校で先生の顔を見た瞬間、由紀子はとてもうれしそうな顔をしました。
多分ホッとしたのだと思います。

新しい担任の先生はK村先生、男の先生です。
去年から特殊学級を受け持たれたと言う事ですが、とてもよく勉強をされていて自閉症の事もよく理解してくださっていました。
やさしい先生で由紀子もすぐに打ち解けてすっかり頼りにしています。( ̄o ̄)ホッ 

交流学級の担任の先生も男の先生、S木先生です。
不安でいっぱいの由紀子を2人の先生がしっかりフォローして下さるので、きっと由紀子もがんばれると思います。
学校が始まって1週間が過ぎました。
少しずつですが、由紀子も学校になじんできました。
ともちゃんというお友達もできました。
お昼休みはともちゃんと運動場を走り回っているようです。
由紀子も少しずつ、N小学校に根をおろし始めたようです。
がんばれ!ゆきちゃん!!p(*^-^*)q がんばっ♪
担任のK村先生だよ!2003.4.14
先週の金曜日PTAがありました。
学年集会では由紀子の紹介をさせてもらって、その後交流学級での懇談会に参加しました。
由紀子は基本的には5組なのですが、私はいつも交流学級のPTAにも参加させてもらっています。

その日は役員決め!どこの学校でも、PTAの役員決めは大変みたいです。
いつもなら、私も学級委員長の副の仕事をさせてもらうのだけど、
今年は初めての学校で由紀子が慣れるまでは役員の仕事はできません。
ひたすら沈黙を守っていました。
(− −)「・・・・・」・・・無言

その間、由紀子もずっと側に座って参加していたのですが、なかなか決まらなくて時間がどんどん過ぎていきます。
退屈した由紀子がノートに絵を描き始めました。
自分の顔や、私の顔・・・そして、最後に書いたのが担任のK村先生の絵です。

PTAの間、ずっと由紀子の相手をしてくださっていたK村先生と思わず笑ってしまいました。
だって、とてもかわいいのです。(笑)

               
宿題・・・そして2003.4.15
学校から帰ったら漢字の宿題をして、おやつを食べる。
これが前の学校からの由紀子の日課です。
これをやらないと落ち着かないので、こちらに来ても先生にお願いして漢字の宿題を出してもらっています。

ところが、昨日の由紀子・・・漢字を書きながらかなりイライラ!
「書かないの!」「宿題しないの!」(T▽T;)ビェェェェ

私の「そんなにしたくないのならやめなさい!!」の言葉に
「しめた!」というような顔をしたので
「でも、先生には自分で宿題はしませんでした!っていうんだよ!」と、
ちょっと意地悪をしました。(笑)
すると、また・・・・(T▽T;)ビェェェェ(笑)
葛藤の末、結局、宿題はおサボりする事になりました。

日課にこだわる由紀子がサボるのもいい経験かも・・・と母はそう思っていました。
ところが、夜になって蒲団に入ってから急に宿題が気になりだしたのか、なかなか寝付けなかった由紀子が10時になってとうとう起き出してきました。
「宿題するの!」
眠い目をこすりながら全部書いて安心して寝ました。

先生にサボった事を言うのが嫌でやったのか?
日課を消化していない事へのこだわりでやったのか?
これには大きな差があるのだけど説明してくれるわけもなく・・・
(― ―;)

さて、一夜明けて目を覚ました由紀子はめっちゃ不機嫌でした。
睡眠不足のせいでしょうが、朝ご飯を食べてからもゴロゴロしていかにも眠そうです。
「学校行かない!」「洋服着ない!」「トイレに行かない!」
全て拒否です。

でも、今日休んだら明日の遠足には行かせないと言ったら、不機嫌そうにトイレに行きました。そして戻ってくる時ドアに八つ当たりです。
思いっきり閉めたかと思った瞬間
「ガシャ〜ン!」
すごい音とともにガラスが割れました。

幸いガラスのほとんどはドアの反対側に落ちたようですが、それでも小さな破片で右手を何箇所か切っていました。

傷は浅く大した事はありませんでしたが、手首の近くだったので一つ間違えると大変な事になっていたかもしれません。
私の対応にも問題があったかなぁ〜と反省をしながら傷の手当てをして学校に送っていきました。

途中、何度も「壊しちゃった!ごめんなさい!」と繰り返す由紀子。
『ゆきちゃん!ガラスは割れるとけがをするのよ。これでわかったでしょう?
痛かったけどいいお勉強になったね!』

私は一生懸命冷静に振舞いましたが、もう心臓はバクバクでした。

遠  足2003.4.16
今日は新しい学校にきてはじめての遠足。
朝からルンルンで出かけていきました。
歩くのは嫌いだけど、お弁当はだいすきなゆきちゃんです。(*^-^*)

遠足の帰りはそれぞれ家の近くで解散していくとの事だったので家の前で由紀子がもどってくるのを待っていました。

たくさんの子ども達が我が家の前を通り過ぎていきました。
でも、由紀子はなかなか戻ってきません。
のんびり屋の由紀子は相変わらずゆっくりのろのろ歩いていたのでしょう、
皆の姿が見えなくなってずいぶん経ってから先生と2人で帰って来ました。
とても楽しそうに笑顔いっぱいでした。o(*^▽^*)o〜♪

お土産の話は、池にカメがいて泳いでいる姿を見たことでした。
『ウサギとカメのカメさんがいたの!』
お風呂で話してくれました。(笑)

それと、夕方近くのスーパーに買い物に行く途中で、由紀子の交流学級の子どもさんに
「ゆきちゃんのお母さんだ!」と声をかけられました。

学校の中に由紀子の居場所が少しずつできてきている手ごたえを感じました。
きっとまた楽しい学校生活になる・・・そんな気がしてうれしくなりました。

ひとりで・・。2003.4.18
3日前から一人で学校への登下校をする練習を始めました。
まずは学校から一人で帰ってくることになりました。
学校の玄関を出る時に先生が我が家へ電話で連絡をして、
後ろからずっと見守ってくださり、私は家から学校への道を逆に進んで、
電信柱の陰に隠れながら見守る事になりました。
(電信柱で私の身体が隠れるのかって?( ̄∇ ̄;;・・・ほっといて!)

学校から我が家まではたったの7分の道のりです。
すぐに由紀子の姿が見えました。
歩く姿が緊張しています。(笑)
でも、一度も後ろを振り向かずがんばって道の端っこを歩いていました。

そして道を横断する場所になりました。
ちゃんと車の確認ができるでしょうか?ドキドキ(◎_◎;)

すごい!ちゃんと右・左を確認して渡っています。
何度も、何度も練習をした横断の仕方・・・ちゃんと身についていました。
横断し終わった所でお迎えをしました。

ゆき「おかあさんだ!ひとりでかえってきたねぇ〜!すごいね!」(*^−^*)
私が言うセリフを由紀子に先に言われてしまいました。(笑)
きっと私がこういってくれると思いながらずっと歩いていたのでしょうね

「えらかった!さすが5年生のおねえちゃんだね!」(*^。^*)
ゆき・・・(〃⌒―⌒〃)うん

そして、次の日から朝もひとりで学校へ行く事になりました。
私は毎日朝と夕方は忍者に変身!
電信柱の陰に身をひそめ、由紀子の尾行を続けております。
近所で、怪しいおばさんがいるとうわさにならなければいいのですが・・・・(笑)
性教育2003,4,22
長崎に来て一番うれしい事は由紀子の診察がいつでもできる事です。
今日は精神科のA川先生のところに行って来ました。

この数ヶ月、先生に相談していることは由紀子の性教育についてどうすればいいのかという事です。
由紀子も5年生、そろそろ身体の変化が起きる頃です。

姉達の思春期を経験している母ですが、由紀子にどうやって自分の身体の変化を教えたらいいのかわからず、ずっと悩んでいます。

勉強会に参加したり、自閉症児の女の子を育てた経験のあるお母さん方にも話を聞きに行ったりしました。
でも、自閉症の子はそれぞれいろいろなタイプがあるので一概にこうしたら大丈夫と言う答えは見つかりません。

A川先生はそんな私の悩みを受け止めてくださって、M原先生を紹介してくださったのです。
M原先生は大学で保健を教えていて、障害児の性教育に取り組んでいる先生です。
そのM原先生が一ヶ月に一度のペースで由紀子に性教育のプログラムを進めてくださることになりました。

障害のある子どもが性を理解する事はとても難しい事なので1年や2年では答えは出ないと言われました。
今受け持っている子どもさん方も、もう何年もかかって一緒に勉強をしてきているけれど、
同じことを何度も何度も繰り返して、やっと…という感じだそうです。

でも、人として生きていく上で大切な勉強です。
私も覚悟を決めて一緒にがんばっていこうと思っています。
今日は長崎に引っ越してきて本当によかったと思いました。(*^-^*)

ところで、ゆきちゃんですが・・・。
今まで島からA川先生の診察を受けに来た時には、
大学病院で診察が終わったら波止場の側の大きなスーパー○サイトによって、
船に乗って帰るのが習慣でした。

で、今日も診察が終った途端由紀子が言いました。
「○サイトへ行こうね!!」(⌒―⌒) ニヤリ
w(☆o◎)wが-ん・・・しっかり習慣は残っていたのね。

家と波止場とは全く逆の方向にあります。やれやれ・・・です。
いつものように○サイトの食品売り場・本屋・おもちゃ売り場を回って家に帰り着いた時には5時半になっていました。
まるで島から診察に来ていた頃と同じように疲れてその後はぐったりしていた母でした。
お母さんがいない時には・・・2003.4.25
由紀子が一人で学校の登下校を始めて2週間が過ぎました。

朝は家を出たところから一人で大丈夫。
登校するほかの子ども達の流れにのってそのままいけるみたいです。

問題は下校の時なのですが、少しずつ迎える場所を後ろに下げながら練習をしています。
学校を出るときに担任のK村先生が電話で知らせてくれるので
私も安心して練習をさせる事ができます。

K村先生も心配してくださって学校の裏門から姿が見えなくなるまで毎日見送ってくださっているみたい・・・先生に感謝です。

前回、迎えの場所を後ろに下げた時にいつもの場所で「おかぁさ〜〜ん!」と叫びまくって、
側を歩いていた人たちをビックリさせてしまいました。
でも、場所が代わったことさえ理解できれば翌日からはまた落ち着いて新しいお迎えの場所までちゃんとかえってこられます。
歩くことそのものはとてもうまくなったと思うのですが・・・。 

今日はまた昨日より少し下がって家のすぐ側で迎える事にしました。
前回の事があるので、朝に別れる時に
「お母さんは、今日からここで待っているから大きな声を出さないで帰って来るのよ!」
と約束をしました。

そして、先生からの電話を受けて私は外に出て由紀子が帰ってくるのを待ちました。
その場所は大通りから奥に入っているので道を歩いて来る由紀子の姿は見えません。
大丈夫とは思いながら、バスが行くたび、トラックが行くたび、心臓がドキドキです。

長い時間が過ぎた後、やっと由紀子の姿が見えました。
帰ってきた!o(*^▽^*)o〜♪

そう思った瞬間、昨日までの場所に私がいないと気がついた由紀子はクルッと向きをかえて学校に向かってまた歩いていってしまったのです。
ビックリして大きな声で由紀子の名前を呼びました。
やっと私の存在に気がついた由紀子…ニコニコで走ってきました。
今度は母が大きな声で道行く人をビックリさせてしまいました。(笑)

それにしても、母の姿が見えないと学校まで戻ってしまうのかい!
それがいい事なのか?悪い事なのか?ちょっと考え込んでしまった母なのでした。
でも、来週も下校の練習は続きます。家の玄関を「ただいま〜!」と元気に開けて帰ってくる由紀子の姿を夢見ながら・・・・。
ただいま〜!2003.4.28
転校してからずっと練習をしてきた登下校の自立。
ついに由紀子が一人で玄関まで帰ってきました。

私はもう少し時間がかかるかと思っていたのですが、
いつも下校の時に連絡をくれるK村先生がチャンスを作ってくれました。

「今日はゆきちゃんと一人で玄関まで帰ると約束をしましたから、
お母さんは玄関の中で待っていてください。」

なかなか最後の一歩を踏み出せなかった私に変わって先生が由紀子の背中を押してくれたのです。

ドキドキしながら窓のところで背伸びをしながら待ちました。
すると由紀子がランドセルの肩ひもに手をかけて緊張した面持ちで帰ってきました。
とても長い時間だったような気がします。
「ただいま〜!」p(*^−^*)q

そして、戸を開けた後 満面の笑みで一言
「いた!いた!」・・・(笑)

いるさ!ドキドキしながらずっと待っていたさ!(*^−^*)
私は由紀子を抱きしめていました。

小学校に入ってからずっと願っていた瞬間でした。
たった7分間の道のりです。
普通の子どもだったら小学校に入る前から歩ける距離です。
でも、私は由紀子が自閉症とわかったときから一人歩きは無理と決め付けてしまったのかもしれません。

何歳になっても道を一人で歩かせることができませんでした。
「一人で歩くことよりも命の方が大事!」
小学校に入る直前に小児科の先生に言われた言葉を盾にしてずっとその自立から逃げていました。
口では自立をさせたい!そういいながら、結局最後の1歩が踏み出せなかった。

でも、いつのまにか由紀子の方がその一歩を踏み出していました。
新しい環境の中で由紀子はまた一つ大きな自信をつけました。
K村先生の協力にも本当に感謝します。
ありがとうございました。

そして、もう一つうれしい事がありました。
由紀子が帰宅した後、私は一人で近所のスーパーへ買い物に出かけたのですが、
その間にまーまーが学校から帰ってきました。

そして、一人で居た由紀子に「お母さんは?」と聞くと
「ジョイ○サン(スーパーの名前です。)に行ったの!」と答えたというのです。
今までこんなシーンは何度もありました。

でも、いつも「お母さんは?」とオオム返しをするか「いないの!」としか答えなかったのに今日はちゃんと答えを返すことができたのです。

まーまーはその自然さにびっくりしたといいました。
きっと、一人で帰ってきたことの自信が由紀子の中で何かを変えようとしているのかもしれません。
久しぶりに由紀子の成長に感激した1日でした。
写真は登下校の練習を始めた頃のものです。
撮影は忍者です。
久しぶり2003.4.29
今日は所属している自閉症協会の総会でした。
託児が準備されていてボランティアさんがマンツーマンで見てくださるので、
由紀子も一緒に参加しました。

ここで由紀子は久しぶりにお友達のKENちゃんに逢いました。
KENちゃんは2年前まで由紀子と一緒に島の学校の特殊学級に所属していた男の子です。

先に島を出て長崎で中学生になっています。
顔を見るなり由紀子は彼に合言葉を投げかけました。
以前の学校で彼らは2人にしかわからない合言葉でコミュニケーションを取り合っていたのです。
でも、その言葉に彼は何も反応をしませんでした。
忘れてしまったようなのです。

由紀子はその瞬間から耳を押さえ
「KENちゃん、嫌いなの!」
と完全拒否の姿勢をとり始めました。

やれやれ!おなじ自閉症でも、あなたのように何でも覚えているわけではないんだよ!
母親同士は笑ってみているしかありません。
そのうち、由紀子もあきらめて一緒に昼食を取りました。
でも、ちょっとすねている由紀子です。(笑)

ところが食後に会場のソファーでくつろいでいる由紀子の姿を見ていたKENちゃんがいいました。
「ドンばら、ドンばら ポーンポン!」
これは、お腹が出ている由紀子のあだな「どん腹」の歌です。(爆笑)

KENちゃんが思い出したのです。
由紀子はその歌を歌い返しながら(⌒ー⌒) ニヤリ。
それから二人は以前のように、程よい距離を保ちながらいい関係を持ち始めました。
よかった!・・・めでたし!めでたし!ですね(*^。^*)

でも・・・・2年間の空白を埋める思い出が由紀子の大きなお腹だったとは・・・。
もうちょっと、いいイメージはなかったんかい?(笑)