1999年3月

1日(月)
久しぶりにバスで保育園に行った。
1年半ぶりだろうか……。
乗ったとたんに乗客から
「あら、久しぶりね!」と声がかかって
由紀子はにこやかに「オハヨウ!」と答えていた。
私は自分の楽のためにずっと車で登園していたけれど
本当はバスで登園させたほうが由紀子のためだったのではないかと思ってしまった。

2日(火)
家族でテレビを見ていたら隣の部屋から
ユキ「おかあさ〜ん」…私「は〜い」。
ユキ「おとうさ〜ん」…夫「は〜い」。
ユキ「ね〜ね〜」…長女「は〜い」。
ユキ「ま〜ま〜」次女「は〜い」
これが2回続いて,やっと終わったと思ったら……
ユキ「みんな〜!」全員慌てて「は〜い!」
すごい!すごい!と家族で大笑いでした。
由紀子は冬になると成長のカーブがゆるくなって
暖かくなると急に伸びるようです。
そろそろ由紀子に春がきたかな?

3日(水)
今日は保育園のひな祭りだった。
「おひな様のコロッケ、かわいかった?」と聞いたら
「きれいだった!」……「ああ!本物のおひな様ね。よかったね!」
するとユキが
「よかったね〜!おいしかった!」
わたし「?????????」
わかっているのか、わからないのか、
ときどき漫才のような会話になってしまう。

4日(木)
お迎えに行ったらまだ終わりのご挨拶が終わっていなかった。
先に靴を持って玄関に出てきた由紀子が
「O上先生、さようなら
のみんなの声にまた教室へ戻っていった。
O上先生は別室で仕事をしていたらしく
ドアを少し空けてみんなに「さようなら」といってまた戻っていってしまった。
由紀子には気がつかなかったようだ。
すると由紀子は走ってそのドアをあけてのぞき込んでから,玄関に戻ってきた。
お見送り係のS野先生と
「このつながりの強さは何なのでしょうか?」

と見合ってしまった。

5日(金)
お父さんの顔をさわって「ジョリジョリ」、
私の顔をさわって「ツルツル」,自分の顔をさわって「プクプク」。
3人で川の字に横になってからのいつもの台詞です。
今日は私が横に行くのが少し遅れて、
お父さんの「ジョリジョリ」が終わってしまっていた。
そしたら、私の顔を見て「もう一回!」といった。
新しい言葉だった。

6日(土)
今日は自閉症ネットワーク「クレヨン」の発足会議。
やっとここまでたどり着いたという感じがする。
由紀子は久しぶりに私のいない夜を過ごした。
というよりお父さんがと言うべきかもしれない。
初めて由紀子に薬を飲ませてくれた。
ドキドキしたようだが由紀子のほうが薬には慣れているから大丈夫。

7日(日
サティへ買い物に連れていった。
お父さんに由紀子を頼んでほかの買い物を済ませて戻ると
由紀子が新しい玩具を買ってもらっていた。
最近始まったアニメのグッズ。
お父さんが言うには玩具の前で「ドレミちゃん」と言って動かなかったらしい。
「これ買ってといえないことがかわいそうだ」
とお父さんはしんみりして言うが、
横で由紀子は幸せそうに玩具を抱いていた。
お父さんが思っているほど由紀子は可哀想ではないな!と私は思う。

8日(月)
療育センターへ。
お別れ会をしてもらった。
先生たちの劇「3匹の子豚」に子どもたちは大喜びだった。
でも、いつもと違うペースに由紀子はトイレでおしっこを漏らしてしまった。
着替えをさせて一件落着と思っていたら
帰りに寄った浜屋のエレベーターの中でもう一発。
(たいていの事には慣れた私も気が遠くなりそうでした。)
あわてて着替えを買いに走ったけれど、浜屋はデパートです、
ズボンとパンツで5000円なり。
(再び、気が遠くなる)
療育センターでおしっこを途中で止めていたらしい。
最後にふさわしい大変な長崎行きでした。

9日(火)
長崎で買ってやったおもちゃを持って
アニメの主人公になりきって遊ぶ由紀子です。
やっとそんな遊びができるようになった事がうれしくて、
由紀子にねだられるとついつい買ってしまうバカな親です。

10日(水)
《クレヨン》の発足のご挨拶に市役所へ行くために、
保育園の送りを車にしたかったので、由紀子を説得。
「今日は車で保育園に行くよ。」(母)  「…… 一番は?」(ゆき)
「?????保育園よ!」(母)     「二番は?」(ゆき)
「おうちよ!????」(母)     「ヤダッ〜!」(ゆき)
しまった何か誤解されたようだ……。
「O上先生とおひるねしてね〜!」(母)   「は〜い!」(ゆき)
やっと車に乗って保育園へ出かける事ができました。

11日(木)
卒園式の練習で、ちゃんとみんなと同じようにやっていると
O上先生からお便りがあった。
卒園児の一言づつの言葉もちゃんと言えるようだ。
先生はどんな気持ちで子どもたちを送り出すのだろうか、
毎年別れを繰り返している先生はもう平気なのかな?
由紀子との別れは?  
私少しへんかも・……。
何を考えているのだろう。

12日(金)
お父さんの転勤先が中五島の可能性が強いといわれる。
ねーねーやまーまーの受験を考えると、
福江を離れる事はできない、由紀子の小学校の事もある。
その時は単身で行くと決めた。
今年の3月はどうしてこんなにつらい事が多いのか……
明日は涙がとまりそうにない。

13日(土)
卒園式。由紀子が入場してくると思った途端、
涙が出てきた。そしてずっと泣きっぱなし。
O上先生の転勤も覚悟していたはずなのに…。
由紀子にとって最高の保育園だった。
そしてO上先生との出会いは由紀子の人生の宝物だと思う。
由紀子!O上先生を忘れないでね!
3年間あなたの事を育ててくれた保育園のお母さんです。
いつも抱いて寝てくれたあなたの大好きなO上先生の事を、いつまでも…。

14日(日)
私は目がはれて外へも出られない状態。
昨日私があまり泣くものだから由紀子が少しへん。
すぐに私の顔を見に来るし、
テレビの中で泣いている人の涙を拭いたりしている。
何時までもクヨクヨしてはいられない、
残りの保育園の生活を大切にしてやらなくちゃ。

15日(月)
いつものように保育園へ、由紀子にいつ区切りをつけさせれば良いのだろうか。
30日まで保育園にやるべきなのだろうか?

16日(火)
保育園で字を書く練習を始めたと先生から連絡をもらう。
すごい!
由紀子が字を書けるようになるなんて。
小学校を終わるまでにできたら良いと思っていた。
由紀子は興味さえ持てばなんでも上手になるのに…。
私にはそのきっかけを付けてやれない。
O上先生が居なくなったら誰に頼めば良いのだろう。
小学校の先生がその役をひきうけてくださるといいのだけれど。

17日(水)
薬の血中濃度を測るために病院へ。
朝から必死に
「一番は病院」、「二番は保育園」「3番はO上先生とお昼寝」と言い聞かせていったのに、
検査は薬を飲んで二時間後でなければいけないと言う。
(だったら、先に言ってほしいよね)
由紀子には、この後保育園とインプットされているので
家に帰るわけにも行かず、先生にお願いして後で迎える事にした。
病院で大騒ぎをして、看護婦さんに馬乗りになられて4人がかりで採血
その後、また保育園のみんなを追いかけて河童公園へ。
みんなを見つけたときに由紀子が《みんな〜!》と叫んでいた。
由紀子も、私もお疲れ様でした。
結果は全て合格。
薬の効き方もちょうど良いそうです。
18日(木)
保育園で給食にイチゴが出た時に園長先生に
『イチゴをちょうだい』と言われた由紀子
お得意の「ヤダあ!」でお断りしたらしい。
でも、その後O上先生の「1個ちょうだい」には「はいどうぞ!」。
O上先生の勝ち〜!

19日(金)
昨日の夜中に発熱。
39.4度まで上がって、痙攣を起こすのではないかと不安になった。
朝に解熱剤を使って下がった熱が夕方また39度まで上がって、五島病院へ連れていった。
昼寝中に手足が急に冷たくなった事を先生にいったら
「熱が上がるときにそうなるんですよ。
その時わきの下や首を触ってご覧なさい。熱いはずだから」

といわれた。
そう言われれば、昼寝から覚めたときにはもう熱が高かったっけ。

20日(土)
夜中にまた39度を越したけれど、とうとう解熱剤は使わなかった。
朝8時ごろ汗をかいて熱が下がった。食欲もまあまあだし、このまま治ってくれますように。

21日(日)
今日はすっかり元気だけれど、一日のリズムが狂ってしまった。
朝遅く起きて昼寝が長くて、夜寝ない。
そこでお昼寝をぬいて夜早く寝せた。
しかし、夕方から機嫌が悪い事、大変でした。
寝てからも、ぐずぐず行って私に横に来いと言う。

22日(月)
くしゃみをすると下痢がパンツの中に…。
ちょっとつらい状況です。
テレビを見ている由紀子に
「近くで見たら目が悪くなるよ、離れて。」
と後ろから声をかけたら振り向きもせずにお尻で下がっていた。
目を合わせなくてもこんなにすんなり指示が入るようになったのかと、改めて思った。

23日(火)
転勤は無し。
お父さんは商業高校の事務長さんになった。
現在の事務長さんが由紀子と別れて暮らさなくてもいいようにと、
県にお願いしてくださっていたらしい。
ネーネーが大学でこの家を離れる日まで家族5人で暮らせる事に感謝したい。
由紀子の様子が少し変です。
風邪で休んだせいもあるのでしょうが、みょうに甘えてくる。
「お母さん、抱っこして。」
寝ていても寝言のように私を呼び寄せる。
自分の周りが変わりつつある事を何か感じているのかもしれない。
こんな事には敏感なこです。
「頑張れ由紀子!頑張れ由紀子!」
階段を登ったらまた楽しい日が待っているよ。

24日(水)
明日がいよいよお別れ会。
「由紀子をいつまで登園させようか、
O上先生の最後の日まででおわりにしようかとな」
と、長女に言ったら
「それはお母さんの中の区切りでしょう。ユキちゃんにはユキちゃんの区切りがあるはず。
お友達との別れはどうするの?保育園はO上先生だけだったの?」

厳しい娘です。
将来、臨床心理士になろうとする人のアドバイスです。最後の日まで登園させようかと思う。

25日(木)
O上先生に日記を渡してきた。
これで先生との区切りをつけよう。
後2日。
今日は、O上先生に三井楽まで連れていってもらったらしい。
先生のようで保育園を訪ねたらしいが、
着くなりおしっこを漏らしたらしくズボンとパンツをもらってきていた。
最後の最後まで由紀子を可愛がってもらって本当にありがとう。
Y田先生から電話をもらい、
3月29日に福小で由紀子の今後についての話し合いをすることになった
お父さんも都合をつけてくるといってくれて一安心。
由紀子とお日様の当たるところを手をつないで堂々と歩いていきたいので、
よろしくお願いしますとだけ言ってこようと話し合った。

26日(金)
お父さんが29日に長崎出張になって学校へは行けなくなってしまった。
Y田先生に全てをまかせたいと考えているので何も言う事は無いのだが、
由紀子がてんかんの発作の可能性があることを伝えてこなければならない。
由紀子は尾上先生との残り少ない時間を過ごしている。
何を話したり、何をして遊んでいるのか想像もできないが、
楽しい思い出がふえることを祈るだけです。

27日(土)
O上先生との最後の保育園を終わった由紀子。
夜に尾上先生のことを「泣き虫」といった。
もしかしたら先生が泣いたのかもしれない。
明日はお見送りです。
若竹のお遊び会に行った。
みんなで新聞紙を破って遊んだ。
他のみんなは盛り上がっているのに
過敏なタイプの子は反比例したように沈んでいく。
親が盛り上げようとするので倍疲れる。
もしかしたら本人は楽しかったのかもしれないけれど表現してくれないから・…。

28日(日)
とうとうO上先生は行ってしまった。
先生の作戦なのか波止場に着たのが出航10分前
何も話せないままお別れでした。
でも、船の上から由紀子を送ってくれた視線は
「がんばれよ!」と言っていることがよく分かりました。
先生!さようなら…・。
O上先生を見送って車へ戻る途中の信号でY田先生に会った。
なんという巡り合わせだろう。
神様は今日という日を由紀子の区切りの日にしてくださったのかもしれない。
「学校で待っているからね!」の言葉に、
私の中でも区切りがついたような気がする。
これからはこの先生に任せていこう。
私も素直に先生の指示にしたがって由紀子の成長の階段を1段登ることにする。

29日(月)
小学校に行って校長先生とY田先生そして教頭先生に会って
由紀子の小学校に入ってからの事を話してきた。
てんかんの事、親学級の事おもったことは全てお願いしてきた、
由紀子の親学級の担任は男の先生らしい。どんな先生だろう。
保育園は今日で終わりにした。
園長室に新しい主任の先生が入るのを見てもう保育園は終わったと心から思った。
O上先生元気にしていますか?

30日(火)
雨が降るので車で学校へ。
Y田先生はいなかったけれど、教頭先生に廊下であった。
「由紀ちゃんね、小学校においでね。おじちゃん待ってるけんね」
なんとなくずっこけそうだったけど、
由紀子の事を一人でも多くの先生に知ってもらってから入学させたいと思った。
由紀子は裏庭の鯉とウサギが気に入った様子。

31日(水)
引越しの手伝いがあって由紀子と学校に行くのが3時になってしまう。
片道30分。なかなか時間が縮まらない。
このままでは新学期には7時15分に出なければ間に合わない。
がんばれ由紀子